フェス飯の高さに渋って食べられない

ちょっとした話

映画はたまに見に行く。フェスは行く年もあれば行かない年もあったりする。

映画は公開から少し時間が経てばサブスクで見れたりする。

フェスだって、初めて行った3年くらい前のフジロックまでは、見たいバンドはそれぞれ単独で見に行けばいいじゃん、と思ってた。

 

わざわざ新潟まで行って、土砂降りの雨やらカンカン照りの太陽下でグロッキーになりながら、そこまでしてライブ見なくてもいいじゃんって。

海外のバンドでもその前後で単独ライブをやることが決まったりもするんだし、コスパ悪くないか?って思ってた。

 

とか言いつつ、仲のいい人が毎年必ず行ってたりする姿を見て、全く興味がない訳ではもちろんなくて。

何も経験しないままそれを批判するっていうのは、僕はあんまりしたくない。実際に初めて行ってみたのが22年のフジロック。

 

行ってみた感想は、まあ宿は取るのは大変だし会場内は広くて移動も多いし。とにかく本当に疲れた。

ただなんだろう、最高に思い出に残った、楽かったなって気持ちが、その圧倒的な疲労感を遥かに超えてそこにはあった。

 

年に1回だけの、国内最大級のフェス。呼ばれた国内のミュージシャンはもちろん、海外のミュージシャンもフジロックのことを愛している人が多い。

その愛に溢れたパフォーマンス、広大な自然の中で繰り広げられるそれは、まさにその場所でしか見ることのできないもの。

 

実際、僕が初めて行ったフジロックで最初に見たバンドは初日朝イチの、踊ってばかりの国だった。

それまで何度かライブハウスで見てきた本当にかっこいいバンドだけど、晴れ渡ったFIELD OF HEAVENで見る彼らは、これまでに見てきたそれともまた違う魅力があった。

 

「フジロックベイビーズ!!」

何度も繰り返し叫ぶ下津光史のその姿は明らかに高揚していて、いつもと同じ曲だってそのテンションでしか観ることのできないパフォーマンスが必ずある。

 

なるほどフジロック、観る側だけじゃなくて演奏する側にとっても、呼ばれること自体がとても特別な場所なんだな。

 

もちろん観る側だって、年に一度のお祭り、それは好きな音楽を聞きにくるってことはもちろん、泊まってまで来る以上は旅行だって兼ねてる。

朝から夜中まであらゆるステージで、あらゆるミュージシャンが演奏をしてる。

 

その中から自分の好きなミュージシャン、もしくは知らなくたって、タイムテーブル的に空きがあるから「なんか良さそうだな」と思って見に行ってみるのもいいし。

はたまた、ステージ間を移動する中で、途中で通ったステージで演奏してたミュージシャンがかっこよくて足を止めてみたり。それが、新たな出会いになったり。

 

好きなところで好きな音楽を聞く。お腹が空いたらご飯を食べる。眠くなったら宿に帰る。体力があるなら朝まで踊る。

各々が自分だけのスタイルで心ゆくままに楽しめるのがフジロック。

来てるみんなが自由に自分らしく音楽を楽しんでる姿を見ると、何だかかけがえのない仲間のように思える瞬間すらある。

 

誰も人のことなんて気にしてない、それはいい意味で。そんな自由な空間に魅力を感じて。その翌年もまたフジロックに行った。

 

ヘッドライナーとしてLIZZOがGREEN STAGEで演奏してるその裏で。

やっぱりロックが好きな人たちが選んだ同時刻のWHITE STAGE、トリはWeezer。

周りに人が沢山いた中で、僕は誰かの目なんて少しも気にせずに、その演奏に感動して初めて「フーッ!」と叫んでた。そんな自分に、自分でも少しびっくりしたことを覚えてる。

 

内気な僕が、人の目を気にせずグッときたものに真っ直ぐになれる場所。フジロックって、そんな特別な魔法が掛かってるような気さえする。

 

そんな場所でもお腹は空く、当たり前だけど。

お腹が空いたらご飯を食べる訳だけど、いわばフェス飯。

 

色んなお店が出店してて、3日間いるにしても飽きることはなさそうなフジロック。

いざ何を食べようかとお店を覗いてみると、その値段はどこを見ても基本的には1,000円前後。

 

それでも日頃から外食するお店みたいなボリュームならいいけど、フェス飯のそれは中くらいのプラパック程度。

いわば通常の外食に比べて、1.5〜2倍くらいの価格にはなっている。

 

そりゃあ作る手間やら食料を持ってくる手間を考えたら妥当な値段なんだろうけど「普通に外食するのと比べたら圧倒的に高すぎる」と思ってしまう。

これが僕の悪いところ。そう思って意地を張ってフェスでご飯を買わなかったりする。

 

量と金額が見合っているのかを、フェスに来ても考えてしまう。

奥さんには、フェス飯っていうのはそういうものだし、それを割り切って楽しむのもまた楽しいものだよ、って話もされた。

 

確かにそれはそうだと思う。そこで聞いた音楽が後々思い出として蘇るように、ご飯だって同じようになり得るはず。

でも、どうしても合理主義を諦めることができないというか。やっぱり納得してお金を払うのは少し難しい。

 

じゃあフェス期間中のご飯はどうしてたかというと、朝会場入りする前に場外の売店でカップラーメンを2つ食べて、満腹にしてからイン。

3日間あった中で、それを初日以外はやっていた。

 

売店のカップラーメンも少し割高で、コンビニでなら200円くらいのそれが350円だったか、それくらいにはなってたけど。

まあそれくらいなら許容範囲。2つ食べてお腹をいっぱいにしておくと、場内で空腹にもあんまりならず快適に過ごせた。

 

山頂で食べるカップラーメンは格別っていうけど、値段もなかなか格別との噂は聞く。

きっとそれもケチるのかなって思うけど、山を登るとか身体的にもしんどいことをした後って、例外的かつご褒美として財布が緩くなる気だってしなくもないけど。

いや、ケチるのかな。少し荷物が重くなるとしてもリュックに詰めて登るんだろうか。

 

フェスに関してはチケット代やら宿代だってかかってるし、何より山登りみたく特別何かを頑張った後って訳でもない。

この感覚は、よっぽどお金を稼いだりしたら変わるものだろうか。そうでもない限りは、あんまり変わらない気もしてるんだけど。

 

ディズニーはチケットだって高いけど、ご飯には何だかお金を出したっていい気持ちになる。

それはひとつひとつの食べ物に対して思考を凝らして作られている、食べ物までもが世界観のうちっていう感覚を受け取れるからなのかもしれない。

 

20代前半の頃は終電を逃しても、勿体無くてタクシーなんか呼ばなかった。

場所にもよるけど、1時間歩くくらいなら酔い覚ましにとか思いながら歩いて帰ることもぼちぼちあった。

 

対して今は、諦めてタクシーで帰ることもたまにある。

深夜料金で7,000円くらいしたって、まあたまには、とか思って乗ることもある。

 

そういう風に、歳を重ねてお金の使い方が変わったらフェス飯も「これもひとつの楽しみ」と思って楽しめるんだろうか。

僕はそうなるまでが人より5年くらいは、色々に対して遅いけど。そうやってお金の使い方が変わったならそれはそれで、余裕が生まれた感じがしてまたいい。

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「古着の古着図録」は日本のブログ。個人的熱狂を信じて生きることをモットーとする運営者によって執筆される。タイトルと記事の内容に乖離が生じつつあるが、これは好奇心を大切に、高鳴るする気持ちに正直でいるべきという運営者の考え方を尊重した結果だとされている。

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