30歳。もうすぐ31歳。
大学生の頃は、服に興味があった。というか、高校2年生くらいまで興味がなかったけど、修学旅行が私服だと知って少し焦るくらいには、服に興味がなかった。
大学生になったら毎日私服。とりあえず毎日違う格好をしてるのがお洒落だと思ってたから、UNIQLOでデザインの気に入ったTシャツを7枚買った。
それからブランドに興味も持ったけど、伊勢丹とかで買い物をしてみたけど、側から見たらそんなに洒落たタイプでもなかったと思う。
その頃は”ファッション”に夢中で、夢中というかお洒落に見られたい自我が強くて、自分の好きなものよりも、お洒落の中心にあるもの、もっと分かりやすく言えば流行を追ってたように思う。
モードっぽいファッションが流行で、一応オールブラックコーデとか組んでみるけど、あんまりしっくり来ず。
それよりも色のある、古めかしいペイズリー柄シャツとかの方がなんか好きで。
流行と自分の好きなものと、まさにどう見られたいかと、自分が何をしたいかの間で分かりやすく揺れてたように思う。
それから歳を重ねて、ファッションにはあんまり興味がなくなって。
どちらかと言えば、それよりも単体の服それぞれの生地や作り、シルエットといったディテールの部分に惹かれて服を選ぶことが増えていった。
ファッションっていうのはコーディネートや、服と服の組み合わせなんかを考えることが大きな比率を占めてるように思う。
主に外側から見たときの華やかさがあったり。自分をトータルプロデュースする、その過程や結果を楽しんでいる人たち、ってイメージ。
対して僕はどっちかというと、ファッションはそんなに得意でも好きでもなくて。
いわゆる服が好きなタイプになるんじゃないかと、20代半ばくらいのときに思った。
まあ、ファッションが好きな人だって服が好きだと思うけど。
僕は服それ自体に興味を持った方のタイプなんじゃないかって。
そんな服にも最近はあんまり興味がなくなってきてしまって。
なんでなんだろう、普通の会社で普通に働いてるからなのか。
働いてるときの服装は私服でいいんだけど、ある程度は節度を持って。
クラシックとまではいかないけど、襟付きのシャツもしくはジャケットなんかはマスト。半袖も極力控えた方がいい環境で。
まあ冷房の効いた室内だから長袖だって全然余裕。
私服はといえば、僕は柄シャツだったり、ゆるさのあるシルエットでリラックス感のあるファッションが好きで。
対してその辺りは仕事では着られない。仕事で着る服と、休みの日に着る服を分けるほど器用でもない。
必然的に服を買いに行くときに「この服は仕事でも着られるだろうか」って考えるようになる。
すると今までよりも柄だって控えめになる。まあシルエットに関してはあまりにもルーズだったりしない限りは問題ないけど。
そうやって選んでると、どんどん無難な服装になっていき、まあなんというか気付いたら柄シャツとかをあんまり着られなくなってる。
これって自然な感覚なんだろうか。焼肉を食べるにしても、20代前半の頃ならカルビも食べられたけど、30歳以降は胃がもたれるからハラミやロースを頼む比率が増えてくるような、それと同じような。
この前ふとXを見てたら「UNIQLOのショーツがセールで安いから、本当は欲しかった別のブランドのショーツを20本くらい買えるけど、そこで「UNIQLOでいいや」に振っちゃうと、何か大切なものを失いそうだ」って呟きを見た。
わかる。
その、何か大切なものってちょっと面倒だと思っても、多少の出費にはなっても、なんとなく手放しちゃいけないような気はしてて。
ファッションで言えば正直、僕はもう既にそれを半分くらいは失いかけている気がして、少し寂しい気持ちすらある。いや、もっと言えば時々その寂しい気持ちすら忘れかけている。
僕には他にも好きなものがいくつかあるけど、この感覚は特に音楽を追うときに大切に思っていて。
Xをぼーっと眺めてるだけでも、インディーバンドが好きな人たちの呟きだけでも国内外の作品を問わず大量に「これがよかった」って感想が流れてくる。
どこの誰だか分からない人の感想までは拾わなくてもいいのかもしれないけど、いやまあ拾ってはいるけど。
自分と好きなものが近しかったり、ある程度の信頼を置ける人のそれは特に極力拾うようにはしていて。
とりあえず、いいねを付けておいて後で見返したり。もっといいのは、その場でリンクを踏んでSpotifyのお気に入りに入れておくこと。
いや、更にはもっといいのは、その場でイヤホンを装着してそのアルバムや曲を聞いてみることだ。
20代の頃はとにかくそういった情報に飢えていて、それらをいっぱい拾った上で好きなものが増えてきた。
分からないなりにとにかくいっぱい聞いてみることで、なんとなく自分の中でも好きなジャンルや曲調みたいなものが絞られて形になっていく感覚があった。
そしてそこで初めて、なるほど僕はこういう曲やバンドが好きなんだなって、アイデンティティーを確立できる感じ。
そうやって色々を分からないなりに耳にした結果として「好き」「そうでもない」「嫌い (まで思うことはあんまりない、そしてそこまで感情を揺さぶられるなら逆にそれはすごい音楽だ)」が、自分の中ではっきりしてきた。
正直今は、当時よりも時間的余裕がなくなってきたり、それなりにちゃんと働いてるから疲れたりで、流れてくるそれらを見て、気になる気持ちはありつつも、そしてそれをSpotifyのお気に入りに追加しておきたい気持ちもありつつも、少し「うっ」と面倒に感じる気持ちだって正直出てくるようにはなってきた。
ただ、そこをサボっちゃうとさっきの話と同じで、何か大切なものを失ってしまいそうで。
もし今やっているこれを辞めてしまうと、果てにあるのは「何にも興味を持てなくなってしまった状態」なんじゃないかと思ってる。
「毎日つまらない、何か楽しいことないかな」って言う人の、そう思う気持ちってわかる。
ただ、そうなることは避けたいからこそ、生きていく中で洋服だったり音楽だったり、食事だったりあれこれでアンテナを張っておく。
僕は毎年12月に、沖縄へ旅行がてらフルマラソンに参加することにしてる。コロナ禍前に3~4回くらい参加して完走した。
そしてコロナ禍に大会自体がなくなって、それから復活しても1年か2年は「もういいかな」って参加を見送った年もあった。
ただ、やっぱりなんというか、ここで辞めちゃなんだかいけないな、って気持ちが胸の中にあった。だから走ることを再開した。
今年だって本番まで4ヶ月を切ったけど、毎日のように走ってる訳じゃない。走ってたって5kmくらい、少ないときは2回くらいしか走らない月だってある。
ただ、それでもなんだか辞めちゃいけない。
辞めたらそこで終わりだから。自分の中での楽しみがひとつ減って、フルマラソンに参加して、完走してたことは完全に過去の栄光になっちゃう。
それを懐かしんで「昔は俺も〜」って話をするのも、まあいいとは思う。というか気持ちはわかる。僕だっていつだって自慢できることは自慢したい。
ただ、そうやって懐かしむだけになっちゃったなら、それは本格的なおじさん化の始まりだと思う。
それだって別に悪いことじゃないと思うし、否定したい訳じゃない。ただ、僕はそこで大変でも続けてる方がかっこいいから、続けていたいと思うだけ。
自分の気持ちに正直に、そして頑張りたいと思って心を燃やせる瞬間が減っていくことには寂しさを感じるから走るだけ。
正直めっちゃ辛いし、フルマラソンなんてもうやりたくないって毎年、30km地点くらいでめっちゃ思う。
足はガクガクになるし毎年ペースは少しずつ落ちてるし、もうダメかもって思って走れず、それでも絶対に足を止めることだけはしたくないと踏ん張って早歩きくらいになってるところを路肩で見ながら「お兄さん頑張って!冷却スプレーあるよ!」って応援してくれる人に、アイシングやら飲み物やらを貰わなければ、たぶん完走はできてない。
でもやる。なんというか辞めたらそこで、自分の中で燃えている夢中になれるものがひとつなくなっちゃうから、燃え尽きちゃうから。
『「やりたい」「やってた」じゃなく「やってる」進行形以外 信じない』ってMOROHAも歌ってた。そうでありたい。
人気絶頂で解散して伝説になったNUMBER GIRLだってかっこいいけど、それよりずっと地続きで続けてるeastern youthって、やばすぎるでしょ。かっこよすぎるでしょ、ってそう思う。
ただただそんな感覚なだけ。だから多少面倒臭かったとしたって、興味が薄れそうだって、ある程度は縋りつく姿勢って大事なのかなってなんとなく思ってて。
めちゃくちゃに話が飛んだけど、さっきの見かけたXの呟きの話に戻ると、その人は続けてこうも書いてた。
“今からまたファッションをやるのは大変だけど、それ (UNIQLOに振る)をやると戻れなくなりそうだ”って。
わかる。
そう、ただそれだけ。ファッションだって、自分にとってのこだわりが人からどう思われるかなんて、正直そんなに気にしなくていいはずで。
それが人から評価されると「あの人はお洒落だ」とか、そういう話になる訳だけど、そういう外からの評価は本当に気にしなくてよくて。
自分の中での「俺はこれが好きなんだ」を、ただただいつまでも燃やし続けて、って言うとちょっと熱すぎるかもしれないから、温め続けてっていうか。
そう、大切にし続けること、それ自体が大事なんだよなってすごく思う。
何だか長い文章になっちゃったけど。結局のところ誰にも言わずにコソコソやってるブログだって、僕自身が文書を書くのが好きだからな訳で。
アクセス数とかそういうの、正直ある程度は気になりはするところなんだけど。
ただ、それよりもどんな形であれ、結局こうやって自分の思ってることを言葉にするのが好きだから、続けてるし続けられているんだろうし。
まあなんというか、自分の好きなものは外の評価やらを気にせず大切に温めていこうって、ふと思ったというか。
ファッションなんて、特にそれが大事でしょうから。僕はまだまだなんだけど、いつか自分なりのそれを持って自信を持って胸を張って、今より堂々と飄々と生きていきたいなって思ってる。