仕事にも少しずつ慣れてきた。業界歴はもう3年くらいになるから、慣れてきたとか言ってる場合でもないけど。
去年、同じ会社の中でお店を異動してちょうど1年。やり方の違いはあれど、そのやり方にようやく慣れてきたところではある。
環境が違う、そして今のお店の方が技術的に難しいことに直面する機会も多いから、成長できる。
ただ1年が経って、少しずつ慣れてきた中で仕事に対してのモチベーションみたいなのが今までより少し下がりつつある気がしてる。
ちょっとたるんでるんじゃないかって感じ。聞けばなんでも教えてもらえるから、意欲的に覚えようとしてない感じとか。
今の仕事で国家資格を取りたい気持ちもあるから、もっと意欲的に学んでいかなきゃいけない訳だけど。
少しずつ成長してるとはいえ、自分は何が分からないのかを改めて考えて、そこを突き詰める努力だってしかいかなければ。
とかとか思いながら、なんとなく仕事をしてるうちにもう年末が近付いてる。もう31歳にもなってしまった。
30代になる頃には、自分で何かやってるんじゃないかとか、クリエイティブな何かをやってるんじゃないかとか、よくある憧れを抱いてたけど。
自分で曲を作ろうとすることや、趣味のギターを楽しむこと、レコードを買ったりとか、PhotoshopでTシャツデザインを作って入稿して、自分で着るためにモノにしたりとか、そういうことをしなくなっちゃった。
本当に趣味的にでいいから、やった方がいいんじゃないかって。というか、やり続けた方がいいんじゃないかって思うけど。
Xに流れてきた、興味のありそうな記事でさえ、とりあえずいいねを押して保存するだけで、読んだりしない。
起きて働いて帰ってきて寝て。休みの日にはラーメンを食べに行ってリサイクルショップに行ってお酒を飲んで。
まあそれなりに楽しくやってる。ライブに行ったり服を買ったり、趣味は多くも少なくもないけど、いくらかあって。
友達はそんなに多くないけど、たまに飲みに行ったりとか。何より家に帰れば賑やかな奥さんがいる。
ゆるっと幸せではある。まあ、こういうのが一般的な人生なんだろうなって、ようやく地に足がついてきて感じてるところでもある。
ただ時々、少しだけ虚しさを感じることもある。
まあこれでいいんだろうけど。けど、休みの日にはラーメンを食べに行って、っていうムーブに少しマンネリを感じはじめている。
今年は年間ペースでいえば100杯に到達しそうな感じだ。去年よりも圧倒的に食べる数が増えたように思う。
それは他の趣味がなくなってきたりとか、他にすることがなくなってきてる証拠でもあるのかもしれない。
とはいえ、ここまでくるとただ暇だからラーメンを食べに行ってる訳じゃなく、もはや立派な趣味だとは思うけど。
これまで食に興味がなかった自分にとっての、色んなお店の色んな味に触れる修行の1年だったように思う。
って、なんとなくもう今年を振り返っちゃうくらいには、もう本当に年末が近いんだな。
まあ、なんとなく時間を潰してるように思えるそれだって、楽しみ方はあれこれある訳で。
ラーメンなんて、食べれば食べるほど、お店をやってる人の凄みを間近で感じることになる。
スープを炊いて、それに合わせるタレを作って。それに合う麺を選んで、トッピングを選んで。
もちろんそれだけじゃなくて、お店の外観やら内観やら、店名やメニューのフォントに至るまで、こだわる部分はありとあらゆるところにあるはずで。
ラーメンに関して言えば、自分の目指す味があって、そこに至るためにどこをどう工夫するのか。
スープに何を使って何時間炊くのか、みたいなところから始まって完成に至るまで、目指す味を追求するその過程はもはやアートのようにも思う。
これってきっと、ギターを弾くギタリストだって同じなように思えていて。
音作りにこだわるなら、ただがむしゃらにエフェクターを繋ぐだけじゃなくて、その順番によったって音も変わってくる訳で。
ギターが、音作りが好きな人はきっと料理も好きでしょう。そういう、理想を追求するための細かな試行錯誤、そしてその過程を楽しめる職人気質を持ってる人が、そういう世界には向いてるように思う。
かくいう僕はそういう細かな工程が好きじゃない。苦手でもあるし面倒臭いし。
毎日作る訳じゃないけどご飯を自炊するときだけは、「これを入れたらたぶんこうなる」っていうイメージに基づいた上で調味料を感覚で入れていく。その過程は好きだったりはするけど。
自慢じゃないけど、僕が作る麻婆茄子は美味しいって、何人かの友達に言われたことがあったりして。
ナンプラーやらオイスターソースやら、トウチジャンやら。それを感覚で加えていく工程は、なんでなんだろうか、けっこう楽しい。
ギターに歪みを効かせるような。さっきからギターの例えばっかり出すわりには全然弾けないし、エフェクターなんて憧れのミュージシャンに従って買ったでっかいビッグマフ1個しか持ってない訳だけど。
なんとなく、もう少し興味を持てば僕も、前述したような細かな作業を楽しめる素質がなくはない気もしてる。
その糸口ってどこにあるのか。いや、果たしてやっぱりないのか。なんというか、非常に惜しいところに自分がいるように思う。
そうやって自分を見つめ直す中で、自分って本当はどういう人間なのか。それを深く掘るために実は少し関係してそうというか、手段として繋がっている気がしなくもないのが、服を買うことのように思えてる。
20代前半の頃に服への興味を持ち始めて。初めは服って自分を個性的にみせるための道具だった。
少し奇抜な服を、まあ普通すぎる服よりもちょっとくらいは個性のある服の方が好きではあるけど。
そうやって服を選びながら、髪型やら何やらもそのスタイルに合うように変えてみたりとか、してみたけど。
やっぱり色々試してみる中で、時が経つにつれて、やっぱりこれは自分の性格には合わないなとか、性に合わないなとか、キャラに合わないなとか、だんだんちょっとずつ分かってきて。
無理をしない、自分らしさを探し求める。ただその中でも、妥協したくない部分っていうのは必ずあって、それがかっこよく言うなら核みたいなものなのかもしれない。
こだわりにうまくハマるようなコーディネートを全身で組めたなら、なんか気分がいいし。
逆に全身はうまくハマったとしても、最後に靴を履いて家を出るとき、なんともしっくり来なければ、なんだか惜しい気持ちで過ごすこともあるし。
自分らしさを追求するってことは、自分に似合うものを探すこと。
でもただ似合うだけじゃなくて、そこにちょっとの意外性を持たせたりとかもする。
似合うだけじゃ退屈だったりするときの、ちょっとしたスパイス的に。
顔や声、身長や体型、髪型や肌の色。本当に様々や要素が自分を形成してる訳だけど、色んなものを試しながら似合うそれが、ちょっとずつ分かってくる。
似合うだけじゃなくて、その中で好みを追求して、少しずつ練り上げていくもの。それが、スタイルってものなんだと思う。
今の僕のそれは、きっとすごく普遍的。自分でも思う。けど、僕の中にはもちろんなんでもいい訳じゃなくて、自分なりの好みやちょっとしたこだわりがある。
それがスタイル。本当に少しずつ、ようやくそれが少しずつ見えてきた気がして、今はなんだか自分が好みのファッションに、カチッとハマりつつあるように感じられているのかもしれない。
雑誌でかっこいい人を見て、その服装を真似てみる。でも、同じような雰囲気はなぜか出ない。
それっていうのは、その人がかっこよく見える理由と、自分のスタイルがかけ離れてるからって可能性だって大いにあって。
参考にするべきは自分と雰囲気の似てる人。かつ、洋服の好みまで似てる人だったらきっともっといいんだと思う。
着地はけっこうシンプルで、今は無地の服ばっかり着てる僕だけど、無地ってデザインに大きく頼らない分、シルエットや生地感で似たものでも印象が大きく変わってくるところに、その面白さを感じてる。
最近はだいぶ涼しくなって、服を欲しい気持ちがどんどん高まっている。
引き続き自己の追求をしていって、無理なく等身大で、それでいて納得のいくスタイルを確立してみたいところ。
そういうところを楽しむってところに、もう少し誇りを持ったっていいのかもしれない。
海外に住んでみたいとか、お金をいっぱい稼いでみたいとか、そういう欲望っていうのはなんか、いまだにちょっとある気はする。
休みの日は暇だけど。友達も少ないから1人でラーメンを食べに行ったり、リサイクルショップに行ったり。相変わらず変わらない日を過ごすのかもしれないけど。
それでも、ゆるっと楽しいっちゃ楽しいし、幸せっちゃ幸せ。こういうのでよかったりするのかな。

