ちょっと古いコンデジを買った。なんでもない瞬間を等身大に残したい

ちょっとした話
フラッシュを焚かずに撮った夜道。撮り方はまだ分からない

最近あんまりブログを書けてなかった。それは何でなのかっていうと、自分の中に、ブログ記事っていうのは読む人にとって有益な情報で、価値がないとダメだって思ってるからだと思う。

 

でも、そうやってブログを書けないでいることがなんだかもどかしい。

し、そもそもそうやって僕が有益な情報を書こうとしたって、そこまで服が好きな訳でも詳しい訳でもない僕が、そういうものを生み出せるのかって言われたら、そうでもない気がして。

 

それなら、綺麗な情報を書くより、もっと人間らしくてなんでもないことを書いた方が、よっぽどいいんじゃないかって思ったりもした。

だから、ブログを書くハードルをどんどん下げていきたいと思う。

 

最近の僕は、綺麗なものには興味がない。持てなくなってきた。

ただそれって、きっとみんな同じなのかもしれない。

 

そうやってサウナやら何やらが流行って、昔から街にあるお店が”街中華”ってなんだか祭り上げられて。

20代半ばくらいまでは、わりとその感覚がわかる自分だった。

 

サウナに行って整って、ちょっと汚い (って言ったらアレだけど、な)昔からある飲食店やら喫茶店でリラックスをする。

それが等身大ってことだと思ってた。音楽だって、テレビの音楽番組で歌うようなグループのそれは聞かなくなって、”オルタナティブ”な音楽を聞くことに誇りを持って。

等身大な20代、自然に生きてる自分だと思ってた。

 

30歳を超えて、その感覚にも共感ができなくなってきた。

街中華でご飯を食べるのは、そこに行ってる自分に誇りを持ってるというか、オルタナティブであることに誇りを持ってるから。

 

っていう感覚じゃもうなくなって、シンプルにそのお店に行ってみたいからか、好きだから。

それは自分の見られ方を、歳を重ねていい意味で気にしなくなったからなのかもしれない。

 

こうやって自分の見られ方に無頓着になっていくことが、おじさんの始まりなのかもしれない。

ただ、それはそれでいいというか、自然な気がしてる。

 

20代の頃は、今泉力哉の映画を観て黄昏てた。

今は、テレビを付けてこの記事を書きながら初めて目にしてるテレビドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』を真っ直ぐには見れないこの感覚。

 

きっと20代の頃に見たら、切なさで胸が裂けてたのかもしれないかもしれない。

でも今は、なんというか真っ直ぐには見れない。これを作ってる人たちは、この作品の内容を真っ直ぐに受け取って欲しくて、胸が張り裂けそうになりながら見て欲しくて作ってるのか、それともツッコミながら、寒いと思いながら見て欲しいのかも、もうあんまり分からない。

 

とか書いたけど、この作品の監督も今泉力哉らしい。きっとこの人は、一生この作風なんだろう。それはそれで、変わらず本当にすごいことだと思う。

サニーデイ・サービスがいつまでもバンド始めたてみたいなテンションでライブしてるのと同じで、凄みを感じる。僕はサニーデイが大好きだ。圧倒的に偉大なバンドだと思う。

 

少し前に、kanekoayanoのライブを観に行った。カネコさんは学年で言えば僕のふたつ上らしい。世代的には、コロナ前くらいの作品には、世代的にもグッと聞き入ったし、歌詞を真っ直ぐに受け取って感動してた。

 

ただ、その直後くらいから圧倒的に”サブカルチャー”な人たちからの支持を受けて、人気がもっと爆裂なものになっていった。

 

そこからさらにして、カネコアヤノさんはkanekoayanoという名前のバンドを結成した。海外ツアーも活発に行っていた。

20代後半から少し離れてしまっていた僕は、kanekoayanoのアルバムを再生してみた。

 

これまでの、サブカルチャーな人たちに支持されていたカネコアヤノが、そこにはいなかった。

サイケデリックで轟音で、海外での活動を盛んに行って。目指す先はOGRE YOU ASSHOLEや、坂本慎太郎であるように思えた。

 

この変化に僕は共感した。歳を重ねて、自分がどこで消費されているのか、そしてそこにちょっとうんざりしたところもあったりするんじゃないかとか、少し自分の願望込みでも思ったところがある。

これまで支持されてきた方向から脱してでも、やりたい方向性を貫く姿勢。それは去年のフジロックで久しぶりにライブを観たときに、この人は生粋のロックスターだと思った。

きっと心の中で中指を立てている。僕はそんな姿のロックスターが大好きだ。

 

とか言ってるけど、なんとなくそんな考えで僕自身はいる。ムード、とかいう言葉はなんかカッコつけてるようで使いたくない。

 

フィルムカメラで写真を撮って現像する。それが本当に好きな人にとっては素敵な趣味だと思う。

それだって、エモがりたい若い人たちの、”オルタナティブに見られたい願望”なんじゃないかと、僕はうがった見方をしてしまう。

 

そうやってオルタナティブに見られたい人たちが集ってやってることって、つまりそれ自体がオルタナティブっていう、ひとつのムーブメントなんじゃないかって。

 

っていう、そんなことすら気にせずに、誰だって自分が好きなように生きていけばいい訳だけど。

ちょっとずつ外からの見られ方を気にしなくなってきて、ようやく本当に本当の等身大で生きていくための第一歩を踏み出し始められているように、僕は自分のことを思ってる。

それが、おじさんになるってことなら、それでいい。かっこいいおじさんになっていきたい。

 

下手だってなんでもよくて。休みの日には散歩をするのが好きで、行ったことのないラーメン屋さんに行くのが好きで。

散歩をする中で写真に残したい風景があったとき、それを撮るのが恥ずかしくて歩くことを止めずにスマホでパシャッと撮ったりする。

 

でも、人って人が写真撮ってたって、そこまで気にしてないのかなって思ったり。

「あの人なんか撮ってる」って思われて、写真に残しておきたいその瞬間を逃すのも、ちょっと勿体無いなって。

 

だからコンデジを買ってみた。フィルムカメラって現像する手間もあるし、お金も掛かる。そもそも、さっきのオルタナティブに乗っかってるみたいになって恥ずかしいところもある。それ以前にきっと向いてなくて挫折するんだけど。

 

最近スレッズを見てたら、ちらほら目にするコンデジで撮った写真。それも最近のコンデジっていうよりは、ちょっと古いので撮るのが、少しぼやっとしててちょうどいいっていうやつ。

1万円もしないくらいで買えたし、ポケットに入れて手軽に使えるのが嬉しいところ。

 

上の写真はフラッシュを焚かずに撮ったものだし、撮り方なんてまだまだ全然分からない。

ただ、楽しければそれでいいし、楽しいならなんとなくいい写真だって撮れるように好き勝手にやっていくだろうって気持ち。

 

僕はいつも、何かを始めるときってそのやり方をしっかり学んでからじゃないと足を踏み入れられなくて。

それは教科書をしっかり読み込んでからテスト勉強にも挑むタイプだけど、きっとそうじゃない方が上達だって速いような気が最近はしてきて。

 

作曲をしてみたくてDTMソフトを買ったものの、やり方を学んでからじゃないと、と思って一生曲が完成しない。

でも、まずはある程度だけいじり方を覚えたら、あとは色々触りながらとりあえず曲を完成させてみる。

そうやって手を出していきながら「あれをやりたいけど、どうやったらできるんだろう」とか調べながら進める方が、よっぽど上達するんじゃないかって。

 

きっとこれは小学生の頃、間違えることを悪だと思って、算数の計算ドリルを答えを見ながらやってた感覚が染みついたままなんだと思う。

間違えることは悪で、正解することがただ偉い。

 

大人になった今からその感覚を改めていくのってけっこう難しいと思うけど、少しずつでも失敗することを許すというか、それを恐れずに前に進んでいけるようなマインドに変わっていけたらと思ってる。

下手だって写真を撮ってみるのだって、きっとその一歩になるんじゃないかって思ってる。

 

これもフィルムカメラ的な流行りではあるんだろうけど、素直に素敵だと思った。し、ごく普通の日常をなんとなしに残しておきたいと思ってた。

 

僕は10年くらい前に買ったミラーレスカメラは持ってて、それでこのブログに使う写真を撮ってたりする。

でも、日常をサッと撮って残したいなって思っても、ミラーレスは重いし起動に時間が掛かるしで、なんだか面倒で持ち歩いたりはしなくて。

 

対してコンデジなら、ポケットに入るサイズのコンデジなら電源を入れて、マニュアルなんかにせずにサッとシャッターを切れる。

そういう手軽さがないと、面倒臭がりな自分にとってはきっと続かない。常にポケットに入れといて、日常を切り取るように残しておく。ただそんな風に、なんでもないときを撮っておきたいだけ。

 

まあ、こう考えると僕の思考も世の中とずれてないというか、ごく真っ当にみんなが思うことを、みんなが思うようにして生きてるんだろう。

さっきオルタナティブがどうこうって言いながら、きっと僕もその流れの、ど真ん中よりはちょっとだけ前にいるだけで、これが流行ってきたりしたら嫌気が差してくるのかもしれない。

 

この気持ちって何なんだろう。みんなと同じでいるのが嫌というか、個性が欲しいみたいに思う感情ってどこから来るんだろう。

中学生の頃、みんなが聞いてる音楽とは違うところに行きたいなって気持ちでヴィジュアル系バンドにハマっていったりとか、その頃からずっとある感覚な気もしてる。

 

たぶん、頭の良さとか足の速さとかキャラクターとか、そういうところじゃ目立てなかったから。ちょっとだけ変わった音楽を聞いてるとか、柄シャツを着てるとか、そうやって個性を出そうとすることで自分のアイデンティティーを確立しようとしてきたのかもしれない。

正面から勝負できるだけの強さとか自信はきっとないから。たぶんそういうことなんだろう。

 

ほこりも払わずに撮ったcindy leeのかわいいCD

でも、ようやく周りの目を気にしなくなってきた気がするから。ここからようやく等身大で生きていけそうな気がしてるから。

写真を撮るって行為も、下手だってなんでもいいし、自分の感性をただ大切にして、撮りたいものを残していきたい。そうやって等身大に生きていきたいし、このブログもそうやって書いていけるようになりたいな。

ちょっとした話
プロフィール
古着の古着図録

「古着の古着図録」は日本のブログ。個人的熱狂を信じて生きることをモットーとする運営者によって執筆される。タイトルと記事の内容に乖離が生じつつあるが、これは好奇心を大切に、高鳴るする気持ちに正直でいるべきという運営者の考え方を尊重した結果だとされている。
運営者へのお問い合わせはこちら

古着の古着図録をフォローする
古着の古着図録をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました