なんか疲れてるときって、ほっこりする映画を観たくなる。
というか映画館のあの雰囲気が落ち着く。家でNetflixを使って見るのもいいけど、映画館のあの環境で観るっていうのはとても特別な体験になる。
とはいえ映画ってあんまり詳しくない。それでもせっかく観に行くなら失敗したくない気持ちとかもある。
ラーメンを食べに行くときとかもそうだけど、適当に入るよりも一度しっかり調べて、今いるところからちょっと遠いとしても「良さそう」なお店に行ったりする。
映画もそんな感じで、というか本だって音楽だって何だってそうだけど、日頃からSNSやら何やらで良さそうだと思った作品はとりあえずチェックしておく。
昨日は、そうやってストックしてた中から、Threadsで流れてきた、センスの良さそうな女性の投稿がきっかけで知った映画を観に行った。
その作品はFilmarksとかで調べる限り、星も4つくらい付いてて評判が良かった。
それならばと思ってそのまま都内で上映してる映画館を探してみると、新宿なんかじゃちょうど観に行こうと思った日が上映最終日だったみたいで、平日なのに座席は全て完売してた。
ならばと思って、埼玉の映画館まで行くことにした。電車で向かっていざ、その作品を見終えたとき。
なんだか、あんまり心に残らなかった。少しポカンとしちゃうようなストーリーの進み方で。
2時間の映画だったけど、1時間くらい経ったところで時計を見た。途中で出ようとも、ちょっと思ったりもして。
それと同時に、評価の高い映画に「あんまり面白くなかったかも」と思える自分のことが、なんだかちょっと嬉しくもあった。
評価の高い映画を観たとき、良かったと思えないと、自分の理解力が足りなかったんじゃないかとか、感性をちょっと疑ったりもしちゃう。
多くの人が良いって言ってるのに、そうは思えないのは自分に落ち度があるんじゃないかって。なんとなく、評価には同情しておきたい気持ちがあるんだろう。
けど今は、その感じはそこまでないのかもしれない。自分の抱いた感想を、そのまま素直に受け入れられるというか。
あとは、一言に評価が高いと言っても、例えばそれを評価してる人たちと自分では、好みの違う層というかタイプの違いというか、そんなものがあるようにも思えた。
口コミを読んだり、そもそもその映画の存在を知ったり。っていうのが、その人の普段接してる文化圏に触れる範囲ではあると思ってて。
例えば渋谷のライブハウスで例えてみるなら、僕にはWWWやクアトロ、EASTやnestでライブをするようなバンドの情報は自然と耳に入ってくることも多い。
一方でチェルシーホテルでDESEOでライブをするようなバンドについては、正直ほとんど知らない。
っていうのも文化圏の違いというか。もちろん良し悪しも優劣もないけど、そういう違いは確実にある。
フジロックに行く僕が日頃から気になる音楽と、ロッキンに行く人が気になる音楽が全く違うように。
そこがたまに交わるときもあって、それはそれで新鮮だったりもする。
ただ、なんとなく異文化圏にいる感じっていうのは、なんとなく思ったりもするものだ。
今回見た映画もきっと、違う文化圏の人たちの中では絶賛されてるけど、それがたまたま僕の好みには刺さらなかったっていう、そういう話な気がしてる。
たまにはそんな経験もいい。お金と時間を払って映画を観て、面白いと思えなかったことって、今までの自分ならマイナスに捉えがち。
お金とか時間を失ってそんな経験をしたなんて、とか引きずりがちだったけど。
こういう記事を書こうと思えるくらいには、考えてて楽しめたから、それはそれできっといい。
そうやって何だってプラスに捉えて、楽しみながら生きていきたいものだ。


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